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1118西スポ
2006-11-18 Sat 11:17
F姐你出差去了,所以無處問囧
不知道你要不要啦
反正我就是會多買一份就是了:P~

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ファンの皆さんただいま 小久保独占インタビュー

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 「ただいま」−。来季4年ぶりのV奪回を目指す王ホークスに、頼もしいチームリーダーが帰ってきた。衝撃の無償トレードから1110日。巨人での3年間を経て、小久保裕紀内野手(35)は一回り大きくなって戻ってきた。育ててくれたホークスへの愛着、そして、尊敬する王監督への思い。背番号「9」のユニホームに再び袖を通した男が、心情を包み隠さずに語ってくれた。 (聞き手・西口憲一、山本泰明)

 −どうしてホークスだったのか。

 「FA権の行使は1年ぐらい前から考えていた。昨年巨人に複数年を提示されたけど、個人の権利を大事にしたいというスタンスだった。一生に一度、自分の得た権利を大事にしたかった。ホークスが僕を必要としているかはFAしない限り分からなかった」

 −巨人を出ようと思ったのが先だったのか、ホークスに戻ろうと思ったのが先だったのか。

 「巨人を出ようとか、キャプテンをやって骨をうずめようというのは別問題。キャプテンをやったときは、今年1年は巨人の優勝のために頑張ろうという気持ちでシーズンをスタートした。ただ、福岡に戻ることを決めたのは、やはり王監督のことがあったから。それが自分の一番正直な気持ち。ここまで育てていただいて、ああいう形でトレードになった。3年たって、人生において僕を育ててくれた方から『一緒にやろう』と声をかけていただいた。あの言葉は重かった」

 −王監督は、どういう影響を持った方か。

 「この世界で生きていく中でファンに対する接し方、ファンの期待に逃げない強さ、そういうものが口先だけでなく、9年間一緒にやらせていただいた中で体の中に染み込んでいる。巨人でキャプテンをやらせてもらって端々に出てくる言葉は、僕が以前、王監督から言われた言葉をそのまま後輩たちに伝えることが多かった」

 −ダイエー時代は優勝と日本一、最下位も経験した。印象に残っている王監督の言葉は。

 「99年だったと思うが、僕のエラーのあとに大量点を取られた試合があった。試合後、記者の質問に投げやりな言い方をしたら、それがそのままコメントとして新聞に載った。自分も全然打てないときで、今までで一番苦しいシーズンだったが『オレはこの程度が精いっぱい』みたいなことを口にした。翌日、大阪ドームの監督室に呼ばれて『その記事は本気でおまえが言ったのか』と聞かれた。そうです、と言うと王監督に『そういうことを言うとファンがおまえに夢を買えないだろ? オレたちは夢を売って商売しているんだ』と言われた。大いに反省した。二度とこういう言葉を吐かないと心に誓った」

 −その王監督が7月に戦列を離れた。

 「あの夜の会見はテレビで見たが本当にショックだった。何度か食事に連れていってもらったときも、僕が食べきれないぐらいの量を食べていた。よく食べて、よく飲んで、とにかく元気な人というイメージが強かったので…。もし、王監督が今年か来年を最後にユニホームを脱ぐのであれば、もう一度一緒にやりたいと思った。胃を全部とる手術を受けられたのだし、一般的に考えても、そう長く監督はできないと思う。そうなったときに、本当に必要としてくれるのであれば、戻りたいと思った」

 −巨人の選手としては複雑な思いもあった。

 「当時は骨折していたこともあって、シーズンを戦っている巨人の選手には失礼だったけど、同じ温度ではチームを見れなかった。自分の今後の人生について、冷静に見ることができた時期。そのときに監督が入院されたことで(移籍の)気持ちが芽生え始めたのは事実。それまでは本気で思っていなかった。シーズンが終わってから考えようと思っていた」

 −王監督は松中との競争を期待している。

 「交渉のときに監督も『競い合え』と言われていたけど、僕からすればこの3年で6つもタイトルをとった打者に挑むわけだから、並大抵のことではない。チームの中でのライバル心は当然ある。巨人にいたときも信彦の成績は気になっていた。今後も大いに意識してやりたい」

 −当然4番を狙っていくのか。

 「打順は監督が決めることだが、信彦は日本で最高のバッター。そこに挑戦していくことは価値があること。もちろん年間を通してはお互いに助け合いながらやっていくが、(4番を)あきらめるつもりはない」

 −ホークスは3年連続でV逸した。外から見たホークスの印象は。

 「名前を知らない選手も増えて、かなりチームも変わっている。実際は分からない。キャンプで、自分で感じながらやっていきたい。ただ投手陣が素晴らしいという印象はある。交流戦で対戦して感じたのは強いチームだということ」

 −広いヤフードームに本拠地が変わるが、打撃フォームの改造は。

 「それはない。フォームは、春のキャンプでバットを振っていく中で見つかるものだから。王監督からも常に言われていたが、今日より明日、明日より明後日という気持ちで、1センチでも遠くに飛ばす練習をしないと力が落ちるのは早い。東京ドームではサク越えだけじゃなく、常に看板に当てる意識でフリー打撃をしていたけど、狭さに慣れたところはある。自分は大きい球場で育てられたし、この球場で打つホームランが本物だという思いはある。王監督に『打撃は生きもの』と言われているように、2007年型のフォームを見つけていきたい。基本はいかに強くバットを振るか。あとはそのために体を鍛えていくことが大事」

 −来年で36歳。まだまだ進化の余地はある。

 「工藤さんもそうだし、金本さんもそう。年齢とともに伸びている方はいらっしゃるので、僕にもそういう可能性はある。ホークスには守備も走塁も含めて、それだけの評価をしていただいたと思っている」

 −復帰会見で、あのままホークスにいたらごう慢になっていた部分もあったと口にした。巨人の3年間で学んだものは。

 「ホークスでは自分の言うことがすべて通る立場だったし、周囲が見えなくなったという面も出てきていた。まったく知らないチームの中に入っていって、自分はどういう人間なのか、ゼロの状態から信頼を得ていくことは大変だった」

 −実際に巨人でプレーしてみて、ホークスでやってきたことが間違いではなかったと思うか。

 「自分がやってきたことでしか自信を持って行動に移せない。ホークス時代に自分に課してきたことは、チームが変わったからと言って変わらない。ホークスでも巨人でも勝つという目標は同じ。普段は別にして、ユニホームを着たときは出されたサインに忠実に動くのは当たり前。自分勝手なプレーでチームにマイナスな影響を及ぼすのは言語道断だ」

 −ファンはずっと復帰を待ち望んでいた。

 「オープン戦などで福岡に来たときにタクシーの運転手さんや街の人がそういう風に言ってくれるのは感じていた。今回正式に決まって、福岡に来たら会う人、会う人が『お帰りなさい』と言ってくれる。正直、うれしかった。歓迎してくれたのはありがたい。まさか、福岡でまた入団会見するとは想像もつかなかった。背番号「9」は丸4年間グラウンドにいなかったわけだから、早くユニホームを着て、ヤフードームのグラウンドに立ちたい。もうイメージはわいている」

=2006/11/18付 西日本スポーツ=

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